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2012年03月08日

人生の機会

仁は人の心なり。

義は人の路なり。

其の路を舎てて由らず、

其の心を放ちて求むるを知らず。

哀しいかな。 

人、鶏犬(けいけん)の放たるることあらば、

すなわちこれを求むるを知る。

放心ありて求むるを知らず

『孟子』





【 人の氣持ちを感じれること 】は、人の心そのものなり

義とは、【 人が歩むべき道なり 】



どうして、人は、時として、上手く行かないことや、

失敗や、挫折や、苦悩や、苦しみを味わう事になるのだろう。

悲しい出来事や、苦しい出来事は、私たちに、何を与えてくれるのか?


与えてほしいと、思ってもいないものを、与えてくれる事を、恩恵という。


雨は、降ってほしいとか、降ってほしくない、とか、

私たちが、与えてほしいと思う、思わないという感情に関わらず、降り注ぐ。

求めていないのにも関わらず、与えられるもの、それを、恩恵という。


私たちの本性は、氣である。

天より、氣は、肉体という地に存在する人(ひと)を通して、自分という己を認識し、

自分のことを、自分だと、認識できる事ができるようにと、

求めてもいないのにも関わらず、その機会を、お与えになった。

私たちは、この物質的な世界において、

必要である事を学ぶために、その機会を活かし、それに取り組み、

造物主である天は、私たちに、その目的に必要な能力を与え、

与えられたそれぞれの使命を全うすべく、私たちは、いつも、その機会に取り組んでいる。


どのような、人であろうとも、人として生きる人は皆、何らかの使命を持ち、

この世界が、理想の世界へと変化し、進化し、自然と共存し、順応し、より佳く作り替えるために、

人間という姿、形を司って、日々の日常に取り組んでいるのだと思う。


用意ので来た人に、いつの瞬間であっても、理想の世界への扉はいつも開かれている。

そのきっかけは、いつも、深々と降り注ぐ雨や雪のように、

求めていないのにも関わらず、与えられている。


私は、人間であるからこそ、もがき苦しみ、悲しみに打ちひしがれ、寂しい想いもする。

しかし、我々の本性は、人間という体にあらず、身といい、氣といい、御霊といい、

カタチなきもの、そのものが、本性である。

カタチあるからこそ、ものは壊れ、カタチあるものは、想像することから創造され、

人は、人である以上、悲しみや、苦しみと、共に、それを受け入れたり、それを味わったり、

そうした、一見すると、避けたくなるような、機会とともに、活かされているという事に、氣づかされる。


しかし、そうした機会でさえも、私が、人間である事の、意味を氣づかせてくれる、大切な恩恵であるという事を知れば、

私が、もし、この世界から、脱し、形にとどまる事ができなくなったとしても、

カタチある機会に、味わい得る、大きな恩恵を与えられた事に、私は、多大なる感謝をするだろうと思う。


だからこそ、私は、どんなに、苦しくても、どんなに悲しくても、それが、

私に与えられる、素晴らしい機会である事を感謝の祈りに変え、

人生という たった、一度きりの尊き、この機会を与えられた以上、

人間、想い存分に楽しみたいと思う次第であります。




意味
仁(思いやり)は人が誰もが持っている心である。
義は人の生きる道である。
ところが人は、その道(義)を捨てて従わず、
その良心(仁)を見失っても探し求めない。
嘆かわしいことだなぁ~。
人は、飼っている鶏や犬が逃げたなら
すぐにでも捕まえようと探すのに、
自分の良心を失っても、それを探そうとしない。

孟子








3月9日 より、 モノラルランチ スタート!

詳しくは、ホームページにて^^  

Posted by ケースケ at 04:02Comments(0)人生勉強

2011年10月20日

スポーツクラブを通して地域社会を考える方々と学ぶ機会


こんにちは。

久しぶりに、昨夜は、ゆっくりベットで睡眠できました。

ちゃんとしたベットに横になるのは、7日ぶりでした。車中泊と、大しけのフェリーで、精神ともに、鍛え上げられました。(笑)

人間は、慣れれば、どこでも寝れるのかも。(苦笑)

本日は、なぜか、一泊3000円のお安いホテルでしたが、ベットが二つあるキレイな部屋で驚きました。

ふさしぶりの睡眠に、もう一つのベットは、おまけでしょうか。(笑)

体は一つしかないので、ベットが二つあるのは贅沢なことです(笑)ありがとうございます。



今回は、福島、宮城、北海道の、道東に行って参りました。

福島では、パーキングエリアで、お店が閉まっていると思ったら、

入り口や窓にシートなどが養生してあり、外と中とのギャップに驚きました。

心なしか、通りすがる民家も、窓にシートなどがしてあり、

家々が閉ざされている感じが、物々しさを醸しだしておりました。

それとは反対に、出逢う人や、通りすがる人は、いたって普通で、

放射性物質がそこに存在することを忘れるほどでした。

お米、お菓子、ジュース、みかんなどを、地元スポーツクラブのマネージャー様を通して提供させていただくことになりました。

福島第一原発から10キロ圏内の富岡町のスポーツクラブの皆様に提供させていただくことになりました。



(福島大学 黒須 充 教授 右奥 と、npo法人エフスポーツ半澤様 左奥、半九レインボースポーツクラブ澤山氏左前)


その後、私たちは、福島を北上し、宮城県塩竈に伺いました。

こちらも、震災直後から、大変お世話になった宮城県サッカー協会の会長様に、お会いしに行きました。

震災直後から、大変迅速に、行動され、日頃から地域社会のありかたに、理想の高い構想をお持ちで、

すでにその取り組みに実行され、人望も厚い、会長のお話は、大変説得力があり、いつも勉強になります。

この度の会長のお話も、

大変新鮮なもので、私たちの多くがそのイメージにワクワクする気持ちを持って引き込まれるという魅力を感じました。

会長は、『私はね、スタッフ皆と、会議や、ミーティングをしたことがないんですよ。』と言われたことが、印象的で、

その理由は、会長が

日頃からスタッフの皆様とコミュニケーションがとれているからであるということ、

信頼関係が築き上げられているからこそ出来ることだとわかりました。



(宮城県サッカー協会 小幡会長 と、半九レインボースポーツクラブ澤山氏)


私たちは、サッカー協会の皆様方を通しても、お米やお菓子ジュースなどを提供させていただき、

次に、石巻市へ向かいました。

石巻は、震災から一ヶ月後の4月に一度訪れていたので、7ヶ月経ってどのようになっているか?とても気になっていたので、

だいぶ、ガレキも片付けられ、何もなくなった一面を見て、それはそれで、言葉が出てきませんでした。


石巻市では、自らも被災された松村さんに、(この方もスポーツクラブを通じて地元の皆様と協力し合い

地域の復興に大きく貢献されている方です。)お話を伺い、お米や、お菓子、ジュース、みかんなどを提供させていただきました。


松村さんのお話の中で、

『 ガレキは、どんどん片付けられて、町がキレイになるけど、私たちの心の中は、まだ、片付かないことが多い 』

『 片付けられて行くことは、好い事なのに、心が、寂しい 』

というお話をされて、被災された方々のお気持ちの複雑な心境を感じることが出来て、大変、貴重なご意見を伺うことが出来ました。


それだけ、私たちにとって、信じがたい出来事が、目の前に起こったという衝撃は、簡単には消え去ることが出来ないものであることを…

私は、ただ感じました。

松村さんのように、心の中にまだまだ、整理されていない想いをお持ちの皆様がたくさんおられることを、

私たち自身、考えなければならないと思いました。

やはり、現場で、一番大切なのは、相手の気持ちに依りそい、氣持ちを交感し、励まし合い、助け合う繋がりなのではないかと実感しました。


(松村さんが経営されるスポーツ店の前で、ご家族と、澤山氏)


人という字が、支え合う二人のカタチで表現されているように、

人は、お互いに支え合い、助け合い、繋がり合い、そうした集団生活の中で楽しみあい、

愛しあい。

そういう、学びを、私は感じました。


(石巻市に沈む夕陽は、なぜか無情な想いに感じた)


私たちは、

今回の東日本大震災の復興支援の中で、

行政主導での活動だけではなく、地域に、すでに根ざしているスポーツのクラブを通じて多くの活動をさせていただくことがありました。

そこには、私たちが学ぶべき材料がたくさんありました。

支え合い、助け合い、繋がり合う・・・という地域にとって大切な要素に、絶対的に必要なことが 『 信頼 』 です。

すでに、クラブ活動をされている皆様には、日頃から、その信頼が完成されているために、

そのクラブが機能している地域での復興は、大変迅速に、効果的に行われていて、

私たちも、その方々のおかげで末端の皆様まで迅速に効果的にご支援させていただけたのではないかと思います。


そうした、地域のあり方を、私は目の当たりにしまして、

これから、私たちはどのような社会を築く必要があるのか?

そうした社会の一員として、私が、どう、貢献出来るのかを、

皆様の、ご協力で、被災地へ出向くことが出来、このような機会を与えられた、一人として

私は、考える機会を与えられ、その答えに導かれるように、

北海道の道東に来ていました。



知床半島は、世界自然遺産に認定され、世界各国から観光客が訪れる観光地となりました。

私も、その名前だけは知っておりましたが、そこで、感じたこと、学ぶことができたことは、本当に佳い機会になりました。


北海道、標津町で、行われた『スポーツクラブの全国会議』では、震災の際に、全国のクラブ同士が助け合うという事例を交えながら、

クラブ活動を通じての地域社会のあり方について、アツい議論が交わされ、

スポーツを通じての人間創造にまで、通づる内容も、大変勉強になりました。

その後、知床半島の羅臼(ラウス)町で、様々なお話を聞いたり、大自然を目の前に私たちの、本来あるべく姿を

私は、学ばせていただいたように思いました。

新鮮な海産物、キタキツネや、エゾシカ、タヌキや、ヒグマ、様々な野鳥は、日頃からこの大地と交流し、

人は、その間で生活をさせていただくことで、その大自然の恩恵に育まれ、

豊かな地域とともに、豊かな心身、豊かな精神を育むことが出来るのだろうと感じました。

日本の将来は、ここに既に存在する大自然の恩恵とともにあるな〜ということを、肌で実感しました。





そして、この大自然の恩恵を私たちは求めなくとも既に与えられている事実を多くの方と語り合いたいと感じました。

(今回は、素人ですが、動画を撮影しておりますので、編集して、皆さんと観覧しようと思います。)


私たちは、あの、機会から多くのことを学ばなくてはならないと思います。

3・11は、単に、一つの震災や原発事故ではなく、

私たちそれぞれに、与えられた機会であると、私は個人的に認識しています。

亡くなられた多くの命は、私たちに何を伝えたいでしょうか?

無言のメッセージを、私は実感するに・・・

それぞれが、それぞれの立場で、ものの考え方を見出し、自立し、もしものときに、お互いがお互いを支え合える自己を創造し、

マスメディアや、情報に翻弄されることなく、

ものの本質を見抜き、先見の目を持ち、今日を創造し、

自らの未来、将来を、明るく、楽しいものにするために、今に向き合い。

与えられた機会を存分に活かすために、様々な機会から学び、

今日を楽しく、朗らかに生きることを・・・大変価値あるごときに訴えているように感じています。


(この旅で、多くの虹と出逢います。北海道を去る際にも虹と出会いました。)


最後に、

尊敬する二宮尊徳先生の言葉を引用します。


私は、現在、大阪にいます。

24日、25日、26日に、再び、被災地へ向かいます。

お米、500㌔、お菓子500人分、ジュース800人分、宮崎地鶏100名分など、様々なご支援ご協力を背中に、

福島や、宮城の皆様と、与えられた機会を分かち合えたらと考えています。

ご拝読いただきまして、ありがとうございます。本日は、長文失礼しました。



『 一円融合 』



円こそが天地万物の根源だ
円こそ宇宙の根源原理だ
森羅万象の根源宇宙の実相を現わしている

なにもかもが別々ではない

赤と黒も
黒と白も

この円の中にある

有と無も
天と地も
陰と陽も

混然としてひとつになって円の中にあるのだ
すべてのものが分離していないで円の中に融けている

空も陸も
山や樹も
草や花
人も動物も

宇宙の万物は一粒の種から草花があるように一元から発生しているのだ
相対的なものを一元として相対的な両方をひとつとして見るべきだ

善人もなければ悪人もない
悪人にも長所はある
善人にも短所はある

自分に反抗する者は憎いと思い邪魔に思った
それでは駄目だったんだ

善人をただ善人と見ず
悪人をただ悪人と見ない
その目が大事だ

すべてのものは減りもしなければ増えもしないでこの円の中を循環輪廻している

春がくればやがて夏となり
そして秋になり冬になる

水は低きへ流れそして水蒸気となって天に登る
そして雨と降って水となり流れる

原因と結果が永遠に循環している

世の中のすべてのものは止まることなく循環している

そして稲が育つにも水や気候
光や養分が融けてひとつにならなければ生育しない

一円融合

一円融合しなければ
花も咲かなければ
草も生えないし
人間も生きる事ができない

尊徳  

Posted by ケースケ at 15:51Comments(0)人生勉強

2011年10月16日

幸せな世界のイメージ



おはようございます!


引き続き、北海道の自然に触れ、新しい地域社会のあり方を学ばせて頂いております!

午後から知床半島に向かい、シーカヤックをする予定です。

北海道には、たくさんの自然が残っていますが、

年々、湖の透明度が落ちたり、浸食の影響があったり…。

問題点も、数多くあります。

私は、野鳥や、キタキツネ、エゾシカと出会い、

彼等が住んでいるこの場所にお邪魔させていただいている身分において、

経済活動が優先される現代が、いかに自然を不自然に導いたかを反省します。



何故ならば、私は、ビルの立ち並ぶ都会や、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗る環境では無く、

自然と人が共存する、自然な暮らしの中で生活したいと願うからです。


自然と人が共存できる世の中をまずは、イメージしたいと思います!


ウルフルズの、大丈夫という歌に、好きなフレーズがあります。

♪ 誰もが 胸に 幸せな世界のイメージを描いて暮らす ♪


誰れもが、幸せな世界のイメージが出来るような世の中にしたいものです!



『 大丈夫 』 ウルフルズ


僕は考える
そしてペンを持つ
思いついたままノートに
らくがきしてみる

君はどうしてる?
ひとりで大丈夫?
憂うつな時はいつでも
話をきくよ

そうさ ゆうべの夢さ
しあわせな気分の
ままで目が覚めたから
届けたいよ君に
こんな言葉を
「答えはひとつじゃないから」

僕は大丈夫
今はそういえる
忘れたいこと あるけど

そうさ 誰もが胸に
しあわせな世界の
イメージを描いて暮らす
うまくはいかなくても
まずは一歩ずつ
答えはひとつじゃないから

僕は考える
きっと大丈夫
心がちょっとザワついて
何かがはじまった

君はどうしてる?
ひとりで大丈夫?
僕はここにいるよ
君は大丈夫
きっと大丈夫
僕はここにいるから

僕はここにいるから

僕はここにいるから

僕はここにいるから






  

Posted by ケースケ at 10:47Comments(0)人生勉強

2011年10月01日

徳育

朕惟(ちんおも)フニ、我カ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳(とく)ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。
 我カ臣民、克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心を一(いち)ニシテ世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ教育の淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス。
 爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發(けいはつ)シ、徳器(とっき)ヲ成就シ、進テ公益ヲ廣(ひろ)メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重シ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ。是(かく)ノ如キハ、獨(ひと)リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン。
 斯(こ)ノ道ハ、實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スヘキ所、之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラス。朕爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こひねが)フ。
 
明治二十三年十月三十日

  御名 御璽

【明治天皇 教育勅語の口語文訳】

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。
そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 

  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、
この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、
私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

~国民道徳協会訳文による~



教育の3本柱は、

知育 徳育 体育 と言われます。


そして、簡単に教え導く事ができるものは、

知育と、体育です。

なぜ?徳育は、簡単に教え導く事ができないのでしょう。

それは、徳育というものが、水のようなものだからではないでしょうか。

水は、低いところから高いところへ流れていく事はありません。

徳は、徳の高い人、といわれるように、高い所から、流れ出る水のような性質があるのでしょう。

でありますから、

教育の現場で、

徳育を教え導く際に、大切な徳の高さというものが、その方になければ、

徳育というものは、思いのほか育たないのであるのではないでしょうか。

私たち、大人が、徳育に取り組まなければならないという理由が

世の中にあるように思います。


徳というものは、人間本来に誰しもが持っているものです。

しかし、その、自らのもっている徳がどのようなものなのか知らなければ、

それを発現できることが難しくなるのではないでしょうか。

徳というものは、徳に触れたとき、その正しき発現を垣間みます。

徳の高い人にであったとき、自らの心の鏡にその人が輝かしく写し出される理由は、

自らも、同じような高い徳を兼ね備えているからであります。

徳の行き交う世の中にすること。

それが、世の中にとって、とても大事である事は、明治天皇をはじめ、私たち祖先の痛切なる願いでもあります。

徳育は、徳のある人から学ぶ他ありませんから、自ら、古人の徳に触れ、徳を育み、

徳を以て 徳を報いることのできるような人間になりたいと、自ら願うのであります。






この世に敵もなければ

悪もない

あると思うのは心の迷いである


畑で みみずを見るたびに忌み嫌っていた

しかし畑にとって

みみずは悪ではない

みみずは悪い土を食べて良い土を出してくれる

土にとってはとても善である


どんなものにも徳がある

どんな荒れ地にも徳がある

徳を掘り起こせば

徳に報いてくれる

どんな悪人にも徳がある

徳を掘り起こしてやればいい

徳をもって徳を掘り起こすのだ 


二宮尊徳
  

Posted by ケースケ at 10:22Comments(0)人生勉強

2011年09月08日

ポイント オブ ビュー

シイケイスケです。


去年、オーストラリアにサーフトリップしていた友人から、もらったお土産です。




プロサーファーのテストには落ちてしまいましたが、

次のチャンスでは、きっと、その目標を達成してくれると思います。





石に刻まれたメッセージは、

If you love life, life will love you back!

(もし、あなたが人生を愛すれば、
 
 あなたの人生に愛が返ってくるでしょう!)



最高に嬉しいお土産でした。

お土産話も最高でした。

彼は、オーストラリアで出逢った

現地のサーファーの話をしてくれました。

そのサーファーは、

いつでも口癖のように言っていた言葉があったそうです。

それが、

【 point of view 】

ポイント オブ ビュー 


直訳すると、(観点、見地、考え方、意見、態度)

そのような意味ですが、



【人生というのは、自分自身の視点や、考え方、観点なんだ!】と


いつも彼は話していたそうです。




同じ出来事であっても、物事の捉え方、考え方 一つで、

人生が変わってくることを

直感的に、良く知っている方だったのでしょうね。




そうした方との出逢いを、共有してくれる友人に心から感謝したいです。




そういえば、数年前に、彼の自宅に遊びに行ったとき、

部屋に置いてあったティッシュの箱に、

黒のマジックで、

【 幸せは、自分の心が決める 】と書いてあったのを思い出しました。



なんで、ティッシュ箱に書いたのかを聞くと、

テレビを見ていて、その言葉が心に響いたらしく、

とっさに書いたのがティッシュ箱だったと言っておりました。



【 幸せは、自分の心が決める 】



という言葉を、今も、大変実感しています。



アタマで考えても、人からどんなにアドバイスをされても、


結局は、自分の心が、それを幸せかと感じるものを 大切にしたいと思います。




この世の中は、理屈ではなく、


現実が一番です。


真理に基づいた、答えを信じて、


これからも、人生そのものを愛し、

人を愛し、自然を愛し、

世の中を愛し、

人生が続く限り、積極的に成長していきたいと思います。


今日という日に与えられた全てが、人生の中でも最善な出来事であることを

心より実感しております。


  

Posted by ケースケ at 11:28Comments(0)人生勉強

2011年09月05日

知らない。考えない。世界と日本の繋がり。




日本には、過去にも、現在にも、

たくさんの、徳の高い、偉い人がいると思います。



その方々のお陰で、

私たちは、豊かに、平和に、安全に、過ごしていけるんです。



ただ、私たちが、 何 も 知 ら な く て も 、

そうやって、こうやって、今日を、無難に、朗らかに、生きていける事を、

有難いな〜とも思わずに、

何も、考えずに、

  知 ら な い    という事が、


 他 の 国 において、いかに、危険な事であるかを、

私たちの国では、その危機をも、語る事はしません。




それが、 本 当 の 意 味 で 、 幸 せ か ?  平 和 か ? と考えたとき、


この、地球上のどこかで、

あたりまえのように、人の命を奪い、

平和な日常を、武力をもって打ち崩し、

石油や、天然資源などの利権を、まるで正当性あるのように奪い、

メディアを統制し、

人々が、本当の事を 知らないよう、考えないよう、

私たちを、統制しようとしている事を、


決して、見逃してはいけません。





人の命を、一方的に武力で奪い、あたかも、その行為が、正当性あるように統制された

そうした、利権の上に、私たちは生活することを望みません。



日本人として、一人の人間として、

それは、見逃す事のできない、大切な問題です。




メディアが、あまり報じていない世界の実情は、

メディアの思惑通りには絶対に行かないでしょう。




知らない。考えない。


という事と同時に、


知らせない、考えさせない。


という力が働いているという事を、学ばなければなりません。




私たち一人一人が、もう一度 目を覚ましたとき、

世界は、 必 ず  永 続 な る 平 和 を 手 に す る こ と が で き る こ と を

心より信じます。

  

Posted by ケースケ at 09:06Comments(0)人生勉強

2011年08月26日

矛盾だらけの世界

永遠に続くものと思っていた関係が、突然の終わりを告げ、


終わりが来ることを前提にした関係が、永遠に続くことがある。



無限のように感じているものが、有限であり、


有限であるものの本質は、無限である。







宇宙空間という無限の世界のなかで、有限の世界が成り立っているという関係を、

言葉で表すと、とても奇妙な言葉になる。


例えば、それを、

『 矛盾 』と言う言葉で表す。


矛盾と言うと、何か、二つの存在が間違った関係のように思えるけれども、

決して二つの存在は間違っているとは言いがたい。



この世の中は、相反する関係が、とても絶妙なバランスで成り立っていると言える。



どんな盾(たて)でも突き刺す最高の矛(ほこ)を売っていた武器商人が、


それを全部売り終えたとたん、


次には、どんな矛(ほこ)でも突き破れない最高の盾(たて)を売り始める。という


話が、 矛盾 と言う言葉の語源。(だったような…。)



この、武器商人が、嘘をついていると言えば、嘘かもしれないし、

しかし、嘘をついていないとすれば嘘をついていないとも言える。




言葉と言うものは、言葉にした瞬間、

発した人の想いとは意に従うことなく、

相手の立場次第で、嘘にもなるし、真実にもなると言える。



結局は、自分自身が、それが本当だ!と思えば、それが真実になるし、嘘だと思えば嘘になる。


言葉そのものは、形容された有限なもののように感じるけれど、

その本質は、形なき、無限なものであるように思える。


嘘か?、本当か?という二つの答えだけでは、

本質を見抜くことはできないというのが、答えではないかと思う。




だからこそ、姿や形に囚われることなく、

有限なものに囚われることなく、


有限な世界において、無限に広がる可能性や想いと言うものの本質を理解したいと思う。


だからといって、

お互いに認識しやすい、姿やカタチを、無視するという意味ではなく、

現代社会が、あまりにも、形容できるものに重視する傾向があるように思えるので、

そのバランスを失うことのないように心がけたい。



理屈を抜きにして、

この世界の本質を、同じ認識で語り合えるような世の中にしたいものです。


  

Posted by ケースケ at 03:35Comments(0)人生勉強

2011年08月23日

身は地に生じ 心は天に帰す



人は皆 

仰いで蒼々たる者の天たり

俯して隤然(たいぜん)たる者の地たるを知れども

而も吾が軀(み)の皮毛骨骸(ひもうこつがい)の地たり

吾が心の霊明知覚(れいめいちかく)の天たるを知らず


言志晩録 佐藤一斎



人々は皆、空を仰いで青々と際限なく広がっている者が天であり

俯して柔らかく 固まっている者が 地である事を知っている。

しかし、自分自身の皮膚、毛髪、骨骸等は、地からうけた者であり

吾が心の霊明にして 知覚あることは 天から授かった者であるという事を知らずにいる。





科学がどう進歩しようと、科学という観点からでは、分からない事が圧倒的に多すぎると言うものが

この世の中の事であるという事を知らなくてはなりません。

どんなに、莫大な資料をもってしても、スーパーコンピューターをもってしても

絶対に、その領域には適わないという事を理解して、その進化の目的を見定めなくてはならないところを理解しなくては、

本当の意味で、文明の進歩とは到底言えないのであります。


私たちは、その仕組みさえ知らないものを時に扱う事があります。

どのような仕組みで、それらが成り立っているか?分からないものが、

この世の中に溢れたとき・・・

私たちは、取り返しのつかない過ちを侵してしまう事があるのかもしれません。



文明が、いくら進歩しようとしても、

人は、地上でしか生きる事ができず、生命の中でしか育つ事ができないのです。

そして、その本質は、( 氣 ) でありますので、喜びや、楽しみ、感謝、感動の毎日に生きてこそ

この命を輝かしく全うする目的であるように思うのであります。

進歩と、向上の名の下に開発された様々な 道具に 私たちの本来の目的を奪われないように

今日も、その本質を全うするのみであります。


いつも、ありがとうございます。
  

Posted by ケースケ at 14:15Comments(0)人生勉強

2011年08月19日

認識できないものを感じる心



私たちは、見えないものを怖がってしまう事があります。

認識できないから、それを信じる事ができないのでしょう。

見えなくても、確かに存在しているものがこの世界にはたくさんあります。

五感で感じるものが、すべてだと認識している人にとって、

この世界に不安や恐怖が消え去る事はないでしょう。



地球という、この星の中にいると、

当たり前のように想うことが、

宇宙空間では、決して成り立つ事のできない、奇跡に満ちあふれた偶然が成り立っている事を知ります。

それは、まるで

魚が、水の中にいるときは、水の存在を知らないように、

陸に上がったとたん、

「水の中でしか生きられないという大変重要な事実を知る」

ということに似ています。



人は、当たり前のように考えていることを

それほど深くは考えないようです。

認識できないものも、あまり考えないのでしょう。




しかし、その当たり前に成り立つ天地自然の法則や、森羅万象、目に見えぬ存在である偉大な力が、

私たちを生かしておられるのではないかと、私は秘かに考えているのです。



その存在に、名前はありません。

名を持たず、

誰に自慢するでもなく、

その存在は、私たちの認識の度合いに関係なく、私たちを生かしているのですね。


本当に凄いものというのは、目立たず、誰にも氣づかれず、

話題にもならず、ただ、黙々とその役割を全うしているものなのですね。



私たちは、「体」をもってして、自分という認識に至りますが

この体なしには、自分というものを認識する事はできません。

反対に、体だけ存在しても、それを自分という認識ができない場合、

体は生きていても、自分とは言いがたいのですね。

たとえるなら、植物状態の人間は、体は生かされていても、自分を自分と認識できないのですね。


ということは、体そのものが、自分ではなく、

自分というのは、この体を身体として意識しうる 意識体 ( 氣 )なのですね。

どの、家電製品も、電氣が繋がらなければ、動かないのと同じですね。

電気は、目に見えないものですが、確かに存在するものですね。



私たちの、本質は、

心を統制して、身体を動かす『意識体』なんですね。

『氣』(霊魂)そのものですね。

日本語って、すごいな〜って、思うのですが、

『身体』(からだ)という語源をご存知ですか?


御霊(みたま)とも呼ばれる魂の事を=『身(み)』といい、

身の入っていない、殻だ(からだ・ガラ)のことを 【 体 からだ 】というわけですね。



体(殻)に身(御霊)が入った状態を『  身 体 (からだ) 』と言う。


このような語源がございます。



私たちの身体(からだ)というものは

天から生じた魂と地から生じた肉体とで人間と言うカタチをしているわけです。



それにしても、現代は、健康ブームで、体に良いとされるものが、もてはやされておりますが、

認識しやすい 体 だけでなく、

認識できないけれども、私たちの本質である、氣(御霊)を高めるような取り組みが必要ではないかと考えるのであります。




身も、体も、心も、与えられた機会をまっとうすべく、

いつも磨きあげたいですね。


長文のご拝読 ありがとうございました。
  

Posted by ケースケ at 02:56Comments(0)人生勉強

2011年08月11日

自戒


命も要らず 名も要らず 官位も 金もいらぬ人は 始末に困るものなり。

この始末に困るも人ならでは こんなんを共にして国家の大業は成し得られない

西郷隆盛





私欲ではなく、志欲を持つ。

利で人に接するのではなく、義で人と関わろう。


情報が溢れるなら、

その本質を見抜く事のできる自分を養おう。



望むものがあるなら、それを手にする事が本当に必要かを考え抜き、

失うものの尊さを味わおう。



今日という日が、二度とない時である事を知り、

今という時間が、未来を創造する瞬間である事を実感しよう。



お金や、地位、名誉、肩書きや、きらびやかな外見にとらわれる事なく

自分の身の丈にあった、理想の自分を創造し、

内面から光溢れ出す 魂(霊氣) を 磨こう。



人生に与えられるすべての出来事が、自分自身を高められるチャンスである事を知り

与えられるすべての機会を、感謝の心で待ち受けよう。



天は どんな理由で私を この世に生み出し、

私に 何をさせようというのだろうか? 

自分は すでに天が生んだ物だから、

必ず 天が命じた役割があるはずだ。

天が命じた役割を果たしていなければ、それを果たすように。と、

絶え間なく機会を与えてくれるはずだ。

もし天が私を冷遇しようのなら、

私は自分の 人格を磨く事によって幸福を勝ち取ろう


もし天が私の肉体で苦痛をを与えようとするならば

私は心の平安によって免れてみせよう


もし天が私にさまざまな障害を与えて人生を妨げようとするならば

私は真理の力によってこれを通り抜けて見せよう!


こうすれば、天といえども、私をどうすることもできないだろう。  

Posted by ケースケ at 10:47Comments(0)人生勉強

2011年07月27日

今という選択。



モノラールの求人情報♪


未来のことは、わからないけど、

今を、より良くする方法や手段があるとしたら、それを選択したいと思うのは

当然のことだと思う。

今、私たちが、不自然な生き方をしているとしたら、それを、自然な生き方にかえたいと思うのも

当然なことだと思う。


私たちは、たくさんの失敗をする。

そうして、初めて気づくことがある。

そこで、反省し、改めることができるから、

私たちがこれまで、発展できたのではないかと思う。



未来のことは、だれにもわからないけど、

今を、改めることが、未来を創造することだということを、

私たちは知っている。


  

Posted by ケースケ at 00:56Comments(0)人生勉強

2011年07月12日

昨日よりも今日、明日の未来へ

こんばんは、シイケイスケです。

いつも、ご観覧ありがとうございます!!

最近、つくづく、私たちは豊かな社会の元に生活していることに氣づかされます。

ほんの、70年も前には、テレビも冷蔵庫も、エアコンも、車も、みんなが持っているものではなかったし、

まさか、新幹線や、飛行機、交通網の革新や、携帯電話、インターネットなど通信の革新は、

凄まじいスピードで発展していったと思います。

こんなに多くの方が、同じように豊かに生活できるとは想いもよらなかったことだと思います。

みんな、それなりに、豊かであると思いおます。

しかし、その裏では、豊かさという根源を見失ったようにも思います。

豊かさとは何?

様々な道具や、制度、医療や、科学、様々な革新で社会が便利になっていくことだけが、

果たして豊かなことなんだろうか?

なんのために、生きているのか?

なんのために、それを行うのか?

目的や、結果ばかっりを求めてきたあまり、

失ってしまったものもあるように思います。


今、それを、省察して、反省しなければならない時にきていると思います。


同じ、豊かさを享受している私たち一人一人に責任があります。


原子力を使った発電の問題や、環境に関する意識など、

もっと、もっと、私たちの身近なところで、

それらの問題点を話し合えるような雰囲気が必要なんじゃないかと思います。

専門家じゃなくて、私たちがそれを話し合えるような時間が必要なんじゃないかと思います。


なぜならば、

それが、私たちの望む、本当の豊かさと結びついていると考えるからです。


結果や、目的というのは、その後についてくるものです。

今、私たちが、間違っていることがあるとしたら、それを反省しなければなりません。

反省して、改められるものがあれば、それを改めなければならないと思います。


未来は、あちらからやってくるものでも、

誰かが創ってくれるものでもなく、


私たちが創るものです。



それを、自然はいつも教えてくれるし、自然界は私たちよりも純粋に、毎日毎日、豊かさを育んでくれます。

自然界は、誕生て以来、そういう方向へ回転しています。


私たちは、失敗も多くしますが、それから学ぶことができます。

学ぶことができるし、それを改めることもできます。

改めるための材料も持ち合わせています。


現代に生きる私たちの本当の目的は、

私たち自身の失敗や過ちから、様々なことを学び、それらを改め、

より豊かな世界を創造するために生まれてきたんだと思います。


昨日よりも、今日、明日の未来が、明るくなるような、

今を選択し、本当の豊かさに毎日感謝したいですね。


そのために、勇気をもって、選択したいですね。

失敗から学びます。

改めるということを、勇気をもって進んでいきます。

昨日よりも、今日が、より豊かな世界なんです。


今、この世界にある、すべての問題が、一つの答えを持って解決しようと動き出しています。

その答えとは、私たち一人一人の【 勇気 】ある行動だと思います。


勇気を持って行動している皆様を、心から尊敬します。

私も、昨日よりも今日、明日の自分自身が尊敬できるように、今日という一日を生きていきたいと思います。


長くなりましたが、拝読ありがとうございます。

  

Posted by ケースケ at 02:35Comments(0)人生勉強

2011年07月10日

正しい徳

人偏に、二と書いて、仁と言う言葉があります。

【 仁 】(じん)


人との関わり合いを意味する  “仁”という言葉ですが、

この言葉は、論語という中国の古い書物によく出てきます。


孔子という方の教えをまとめた論語の中に出てくる、【仁】は、

はっきりそれを、定義していませんが、

人と人との間に生まれる親愛の情であったり、

相手に対する思いやり、

親や家族、人を愛すること・・・など

生きていくうえで、大切なものが【仁】だと教えてくれます。



【 仁 】が、人間の【内面的】な部分であり、最も大切なものであります。

そして、【 礼 】とは、


【 仁 】の具体的な表現であり、

【 仁 】を見失わないための規範であると言います…。


人が、二人。

お互いの存在があってひとつ。



すべての存在は

お互いの存在があって、

初めて存在するものばかりです。



それをよく知っている人の間には、

【 礼 】というものは、必要ないのかもしれません。



しかし、人間は、ついつい、それを忘れてしまう生き物であるために・・・

失敗も多くあります。

だからこそ、【 礼 】という形式だった表現を重んじてきました。


それは、私たちの先祖が大切にした、人と関わり合う世の中においての知恵です。


その、礼というものの本質を見失わないように、

今一度。礼という形に、義という“人として正しき道”を重んじて、

“礼義"というものを大切にして、

今後も人との関わり合いを、大切にしたいものです。



論語のなかで、次のような一説があります。

弟子の子貢が孔子に質問します。

「一言にしてもって終身これを行なうべきものありや」と

(人の生きる道において、一番大切なものは一言で言うと何ですか?)



孔子は、「それ【恕(じょ)】か、己の欲せざるところは、人に施すなかれ」

(それは、“恕(じょ)”かな。自分がされて嫌なことを、ひとにしてはいけないということ)

と答えます。



孔子の言う【 恕 】とは、相手の立場にたち、思いやりをもって行動することです。

【 仁 】という言葉では、言い尽くせないところがあったので、

子貢という弟子に分かりやすく答えるために、【恕】と教えてくれました。



【 恕 】も、【 仁 】という【道】を支える大切な教えです。


人として、いかに生きるべきか?という、自分自身の信念を失わないように、

相手の立場に立って、物事を考えられる人間であることや、

互いがお互いを思い合う世の中になるように、まずは自分から

自分という人作りを進めてみようと思います。



“己の欲せざるところ、人に施すなかれ”


正しい徳というものを、今、もう一度考えてみようと思いました。

いつも、ありがとうございます。


仁、義、礼、知、信


仁 
(真の思いやりをもって人を慈しむ(真に愛する)心)

義 
(正しい考え(思い)や言葉や行い、仁に基づく正義)

礼 
(理に適った形や決まり等の行動の規範、仁に基づく礼)

知 
(正しい学問や修養によって得られる知識と知恵、仁に基づく知恵)

信 
(真実を行うことによって終局的に得られる信頼、仁に基づく信)


仁は人の心なり。

義は人の路なり。

其の路を舎てて由らず、
其の心を放ちて求むるを知らず。

哀しいかな。 

人、鶏犬(けいけん)の放たるることあらば、

すなわちこれを求むるを知る。

放心ありて求むるを知らず

『孟子』


意味

仁(思いやり)は人が誰もが持っている心である。

義は人の生きる道である。

ところが人は、その道(義)を捨てて従わず、

その良心(仁)を見失っても探し求めない。

嘆かわしいことだなあ。

人は、飼っている鶏や犬が逃げたなら

すぐにでも捕まえようと探すのに、

自分の良心を失っても、それを探そうとしない。

  

Posted by ケースケ at 04:00Comments(0)人生勉強