› カフェ&ダイニングバー青島モノラル MONAURALのオーナーシイケイスケのブログ › 2011年08月26日
2011年08月26日
矛盾だらけの世界
永遠に続くものと思っていた関係が、突然の終わりを告げ、
終わりが来ることを前提にした関係が、永遠に続くことがある。
無限のように感じているものが、有限であり、
有限であるものの本質は、無限である。
宇宙空間という無限の世界のなかで、有限の世界が成り立っているという関係を、
言葉で表すと、とても奇妙な言葉になる。
例えば、それを、
『 矛盾 』と言う言葉で表す。
矛盾と言うと、何か、二つの存在が間違った関係のように思えるけれども、
決して二つの存在は間違っているとは言いがたい。
この世の中は、相反する関係が、とても絶妙なバランスで成り立っていると言える。
どんな盾(たて)でも突き刺す最高の矛(ほこ)を売っていた武器商人が、
それを全部売り終えたとたん、
次には、どんな矛(ほこ)でも突き破れない最高の盾(たて)を売り始める。という
話が、 矛盾 と言う言葉の語源。(だったような…。)
この、武器商人が、嘘をついていると言えば、嘘かもしれないし、
しかし、嘘をついていないとすれば嘘をついていないとも言える。
言葉と言うものは、言葉にした瞬間、
発した人の想いとは意に従うことなく、
相手の立場次第で、嘘にもなるし、真実にもなると言える。
結局は、自分自身が、それが本当だ!と思えば、それが真実になるし、嘘だと思えば嘘になる。
言葉そのものは、形容された有限なもののように感じるけれど、
その本質は、形なき、無限なものであるように思える。
嘘か?、本当か?という二つの答えだけでは、
本質を見抜くことはできないというのが、答えではないかと思う。
だからこそ、姿や形に囚われることなく、
有限なものに囚われることなく、
有限な世界において、無限に広がる可能性や想いと言うものの本質を理解したいと思う。
だからといって、
お互いに認識しやすい、姿やカタチを、無視するという意味ではなく、
現代社会が、あまりにも、形容できるものに重視する傾向があるように思えるので、
そのバランスを失うことのないように心がけたい。
理屈を抜きにして、
この世界の本質を、同じ認識で語り合えるような世の中にしたいものです。
終わりが来ることを前提にした関係が、永遠に続くことがある。
無限のように感じているものが、有限であり、
有限であるものの本質は、無限である。
宇宙空間という無限の世界のなかで、有限の世界が成り立っているという関係を、
言葉で表すと、とても奇妙な言葉になる。
例えば、それを、
『 矛盾 』と言う言葉で表す。
矛盾と言うと、何か、二つの存在が間違った関係のように思えるけれども、
決して二つの存在は間違っているとは言いがたい。
この世の中は、相反する関係が、とても絶妙なバランスで成り立っていると言える。
どんな盾(たて)でも突き刺す最高の矛(ほこ)を売っていた武器商人が、
それを全部売り終えたとたん、
次には、どんな矛(ほこ)でも突き破れない最高の盾(たて)を売り始める。という
話が、 矛盾 と言う言葉の語源。(だったような…。)
この、武器商人が、嘘をついていると言えば、嘘かもしれないし、
しかし、嘘をついていないとすれば嘘をついていないとも言える。
言葉と言うものは、言葉にした瞬間、
発した人の想いとは意に従うことなく、
相手の立場次第で、嘘にもなるし、真実にもなると言える。
結局は、自分自身が、それが本当だ!と思えば、それが真実になるし、嘘だと思えば嘘になる。
言葉そのものは、形容された有限なもののように感じるけれど、
その本質は、形なき、無限なものであるように思える。
嘘か?、本当か?という二つの答えだけでは、
本質を見抜くことはできないというのが、答えではないかと思う。
だからこそ、姿や形に囚われることなく、
有限なものに囚われることなく、
有限な世界において、無限に広がる可能性や想いと言うものの本質を理解したいと思う。
だからといって、
お互いに認識しやすい、姿やカタチを、無視するという意味ではなく、
現代社会が、あまりにも、形容できるものに重視する傾向があるように思えるので、
そのバランスを失うことのないように心がけたい。
理屈を抜きにして、
この世界の本質を、同じ認識で語り合えるような世の中にしたいものです。