› カフェ&ダイニングバー青島モノラル MONAURALのオーナーシイケイスケのブログ › 2011年10月01日
2011年10月01日
徳育
朕惟(ちんおも)フニ、我カ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳(とく)ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。
我カ臣民、克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心を一(いち)ニシテ世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ教育の淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス。
爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發(けいはつ)シ、徳器(とっき)ヲ成就シ、進テ公益ヲ廣(ひろ)メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重シ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ。是(かく)ノ如キハ、獨(ひと)リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン。
斯(こ)ノ道ハ、實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スヘキ所、之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラス。朕爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こひねが)フ。
明治二十三年十月三十日
御名 御璽
【明治天皇 教育勅語の口語文訳】
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。
そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、
この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、
私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
~国民道徳協会訳文による~
教育の3本柱は、
知育 徳育 体育 と言われます。
そして、簡単に教え導く事ができるものは、
知育と、体育です。
なぜ?徳育は、簡単に教え導く事ができないのでしょう。
それは、徳育というものが、水のようなものだからではないでしょうか。
水は、低いところから高いところへ流れていく事はありません。
徳は、徳の高い人、といわれるように、高い所から、流れ出る水のような性質があるのでしょう。
でありますから、
教育の現場で、
徳育を教え導く際に、大切な徳の高さというものが、その方になければ、
徳育というものは、思いのほか育たないのであるのではないでしょうか。
私たち、大人が、徳育に取り組まなければならないという理由が
世の中にあるように思います。
徳というものは、人間本来に誰しもが持っているものです。
しかし、その、自らのもっている徳がどのようなものなのか知らなければ、
それを発現できることが難しくなるのではないでしょうか。
徳というものは、徳に触れたとき、その正しき発現を垣間みます。
徳の高い人にであったとき、自らの心の鏡にその人が輝かしく写し出される理由は、
自らも、同じような高い徳を兼ね備えているからであります。
徳の行き交う世の中にすること。
それが、世の中にとって、とても大事である事は、明治天皇をはじめ、私たち祖先の痛切なる願いでもあります。
徳育は、徳のある人から学ぶ他ありませんから、自ら、古人の徳に触れ、徳を育み、
徳を以て 徳を報いることのできるような人間になりたいと、自ら願うのであります。
この世に敵もなければ
悪もない
あると思うのは心の迷いである
畑で みみずを見るたびに忌み嫌っていた
しかし畑にとって
みみずは悪ではない
みみずは悪い土を食べて良い土を出してくれる
土にとってはとても善である
どんなものにも徳がある
どんな荒れ地にも徳がある
徳を掘り起こせば
徳に報いてくれる
どんな悪人にも徳がある
徳を掘り起こしてやればいい
徳をもって徳を掘り起こすのだ
二宮尊徳
我カ臣民、克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心を一(いち)ニシテ世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ教育の淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス。
爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發(けいはつ)シ、徳器(とっき)ヲ成就シ、進テ公益ヲ廣(ひろ)メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重シ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ。是(かく)ノ如キハ、獨(ひと)リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン。
斯(こ)ノ道ハ、實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スヘキ所、之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラス。朕爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こひねが)フ。
明治二十三年十月三十日
御名 御璽
【明治天皇 教育勅語の口語文訳】
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。
そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、
この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、
私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
~国民道徳協会訳文による~
教育の3本柱は、
知育 徳育 体育 と言われます。
そして、簡単に教え導く事ができるものは、
知育と、体育です。
なぜ?徳育は、簡単に教え導く事ができないのでしょう。
それは、徳育というものが、水のようなものだからではないでしょうか。
水は、低いところから高いところへ流れていく事はありません。
徳は、徳の高い人、といわれるように、高い所から、流れ出る水のような性質があるのでしょう。
でありますから、
教育の現場で、
徳育を教え導く際に、大切な徳の高さというものが、その方になければ、
徳育というものは、思いのほか育たないのであるのではないでしょうか。
私たち、大人が、徳育に取り組まなければならないという理由が
世の中にあるように思います。
徳というものは、人間本来に誰しもが持っているものです。
しかし、その、自らのもっている徳がどのようなものなのか知らなければ、
それを発現できることが難しくなるのではないでしょうか。
徳というものは、徳に触れたとき、その正しき発現を垣間みます。
徳の高い人にであったとき、自らの心の鏡にその人が輝かしく写し出される理由は、
自らも、同じような高い徳を兼ね備えているからであります。
徳の行き交う世の中にすること。
それが、世の中にとって、とても大事である事は、明治天皇をはじめ、私たち祖先の痛切なる願いでもあります。
徳育は、徳のある人から学ぶ他ありませんから、自ら、古人の徳に触れ、徳を育み、
徳を以て 徳を報いることのできるような人間になりたいと、自ら願うのであります。
この世に敵もなければ
悪もない
あると思うのは心の迷いである
畑で みみずを見るたびに忌み嫌っていた
しかし畑にとって
みみずは悪ではない
みみずは悪い土を食べて良い土を出してくれる
土にとってはとても善である
どんなものにも徳がある
どんな荒れ地にも徳がある
徳を掘り起こせば
徳に報いてくれる
どんな悪人にも徳がある
徳を掘り起こしてやればいい
徳をもって徳を掘り起こすのだ
二宮尊徳