› カフェ&ダイニングバー青島モノラル MONAURALのオーナーシイケイスケのブログ › 2011年11月04日
2011年11月04日
happyisland REPORT
こんばんは。
ご無沙汰しております。
皆様のお陰で、福島に、笑顔の花を咲かせることが出来ました!!
(いわき市のイオンショッピングセンターにて)
たくさんの御菓子が、子供たちの笑顔に変わっていく様子を垣間見ることが出来て、
本当に嬉しく思いました。
御菓子、持ってきてよかったです!間違いなかった~!!
本当に、ご協力有難うございました。
いわき市で、にくまきおにぎり屋さんを見つけたときは、正直、驚きました。
すげぇ~!宮崎があった!!!
何の打合せもすることなく、奇跡の飛び込みで、ココに来ていました。
宮崎出身で、いわきに引越しされて、3年の岩本さんに、地震の事、原発の事、
フラガールで有名ないわき市の事を教えていただき、本当に勉強になりました!
『6月ごろまで、人が歩いているのを外で見ることが無かった。』といわれたことに違和感を感じる程、
普通に、人が行き交っていました。
3000人以上の原発の関係者さんが引っ越してきて、
今も、様々な境遇の中、多くの方が生活をされています。
生活の様子は、宮崎となんら変わることないように見えました。
私達は、見えない放射線が、たしかに存在しているんだと。言い聞かせていました。
(だんだんとそれも意識しなくなっていった)
それほど、線量計がなければ、認識できないのです。
岩本さんが、
『事故後の風向きの影響で、いわきは、(福島市などに比べると)まだ、線量が低いんですよ』
と、言われたことが、はじめは、その意味が分からなくて、
いわき市での線量が0.6マイクロシーベルト/h とか0.8とか、その数値に驚きました。
たくさんの子供たちが、イオンの中で遊んでいるのを見て、私達が
『子供たちが多いですね!』と聞いたら、
『イオン(ショッピングモール)の中は、除染がしてあって、0.2μシーベルト/hくらいになったので、
イオンの中だったら遊んでもいい。と言うことになっているんですよ 』と教えてくれました。
なんだか、いわき市は、まだ、線量が低いとか…その数値の意味が・・・
はじめは、分かりませんでした。
次の日は、福島市に移動して、飯館村に行くことになりました。
飯館村は、原発から40キロ離れた地域ですが、(30キロ圏内は立ち入り禁止)
計画的避難地域にしていされていて、無人の村でした。
(郵便局が閉鎖 このポストへ投函してもどこにも届かないんだね)
無人といえども、道は普通に通れて、飯館村の皆様は、隣の川俣町へ避難しているということで、
定期的にお帰りになられるということでした。
(警察車両が何台も通る…不気味な雰囲気)
そこに、たまたま、整備工場を営まれている大澤さんが帰ってこられていて、
お話をお伺いすることが出来ました。
線量で、側溝を量ったところ、49μシーベルト/h!
(私は、専門家ではないので、詳しいことは、皆様で調べていただきたいです)
私が、現場で感じたことは、この、線量計が、無ければ、
ここが、危険であるという手がかりが何もないこと。
私は、はじめ、福島に入ったとき、
街の光景や、出逢った皆様が、
見た目では、私たちとなんら変わることなく、日常を暮らしていることが、
不思議で、疑問でした。
(福島市内にて、登下校する子供たち)
だんだんと、その理由が分かってくるにつれて、
この問題の深刻さを理解することになりました。
見えない放射線に対しての、知識や、情報の差で、お互いの認識が違っているのです…
現場では、ある意味、その話題に麻痺して、危機感を感じなくなっている氣がしました。
見えない放射線、この数字しか、手がかりがないことが、
同じ場所に生活するお互いの、認識のズレを生じさせていました。
この、放射線が、私たちにとって、どのような影響を及ぼすのでしょうか。
私は、その心配をすることよりも、皆様に、その心配のない、安心して暮らせる場所に
移動していただきたい。と、…それだけの理由で、そう願いました。
飯館村で出逢ったお母さんが、村の70歳になるお婆さんのお話をしてくれました。
『 おばーがね。 私は、この村で育って、この村で結婚して、
畑仕事が生きがいだったんだって。いうんだよ。
けれどね、
こうなって、畑もだめになって、
家族がバラバラになって、
みんなが、この村から離れるなら、
私も、みんなと一緒に村を出たいっていったの。 』
テレビの報道では、『村を離れたくない!』と言う方がたくさんいる。という話が目立っていたけれど、
70歳のお婆さんの話を聞いたときに、それが本当じゃないかと、思ったんですね。
きっと、自分だったら、そう思うだろうな~と。
様々な、疑問が、現場には点在していて、
その一つ一つに、振り回される人がいる現実に、非常に悔しい思いになりました。
何にも出来ない、自分の能力を憂うのではなく!
宮崎に帰って、みんなと、
この事実を語り合うこと。が重要なんだ!!と言い聞かせて、皆様のお話を伺いました。
いわき市で、フリーペーパーを発行する ハイ!マガジンの伊藤さんは、
『もっと、外から(県外の皆様から)、騒いでほしい(問題定義してほしい)』と言われました。
(Hiーmagazine伊藤さんのご協力で、お米や御菓子を配っていただけることに…)
福島の中だけに、この話題を閉じ込めるのではなく、もっと、多くの方が、この機会を分かち合い、
議論することが必要だと思うのです。
宮崎も、鹿児島の川内原発(せんだいげんぱつ)の電力が使われているわけですね。
飯館村でお会いした大澤さんが、
『 日常というものが、こんなんに簡単に崩れるものとは思いもしなかった 』
と、言われた一言が、ジーンと胸に響きました。
(宮崎県でも、口蹄疫や新燃岳の影響で、日常が非日常に変わる脆さを感じた方は多かったのではないかと思います。)
放射線の線量を心配をすることのない地域が、これから先も、当たり前であって欲しい。と願います。
内部被爆を心配することのない食べ物が、流通することが当たり前であって欲しい。と願います。
福島市で、この問題に関わっている阿部さんは、
福島で起こっていることが、世界の基準にならないように、規制を緩和するのではなく
元々の基準に見合わせて、危険なことを危険であるということを、勇気を持って伝えて欲しい。
と、言われていた。
チェルノブイリでの経験を活かそうとする人たち、
様々な知識や、情報を、知っていて、それを活かせない人たち。
知っている人の責任って、なんなのでしょうね~。
私は、素人ながら、知らず知らずのうちに、様々な恩恵をうけている一人でした。
私は、知らなかったからこそ、その責任の重さを痛感しています。
私達が、これから先の未来を想像し、創造する今、何を選択しますか?
私たち自身が、幸せなイメージを持って日常を送れるように…。
人生に起こり来る、艱難辛苦に対して、
日常が、非日常になりえる人生に対して、
今と言う日常が、いかに幸せであるかに氣づき、
命を与えられ…、愛する人とともに実感することを許され…、
家族と喜びや悲しみを分かち合い…
今日と言う日、命を活かすことを許されている限り、
いくらでも新しい日常を創造できることを、最大限に喜びたいものです。
太陽は今日も沈み、朝になったら、また昇る。
必ず、私たちは、その恩恵の中で生かされています。
これから、多くの皆様と新しい明日のために、福島で起きていること、
今、世の中から感じていることを語りあえたらと思います。
happyisland ふくのしま
blueisland あおのしま
青は、光の中でも、一番、早くて、遠くまで届いて、ストレートな色なんで~福島まで届きますね~!
福島と宮崎に虹の架け橋かけたり!
(ホールボディカウンターを市民団体で管理するところにて 福島市)
(Hiマガジン 伊藤さんと)
(やきとりNo1の社長と、肉巻き本舗の岩本さんと)
ご協力頂きました、多くの皆様に心より感謝致します。本当に有難うございました。
ご無沙汰しております。
皆様のお陰で、福島に、笑顔の花を咲かせることが出来ました!!
(いわき市のイオンショッピングセンターにて)
たくさんの御菓子が、子供たちの笑顔に変わっていく様子を垣間見ることが出来て、
本当に嬉しく思いました。
御菓子、持ってきてよかったです!間違いなかった~!!
本当に、ご協力有難うございました。
いわき市で、にくまきおにぎり屋さんを見つけたときは、正直、驚きました。
すげぇ~!宮崎があった!!!
何の打合せもすることなく、奇跡の飛び込みで、ココに来ていました。
宮崎出身で、いわきに引越しされて、3年の岩本さんに、地震の事、原発の事、
フラガールで有名ないわき市の事を教えていただき、本当に勉強になりました!
『6月ごろまで、人が歩いているのを外で見ることが無かった。』といわれたことに違和感を感じる程、
普通に、人が行き交っていました。
3000人以上の原発の関係者さんが引っ越してきて、
今も、様々な境遇の中、多くの方が生活をされています。
生活の様子は、宮崎となんら変わることないように見えました。
私達は、見えない放射線が、たしかに存在しているんだと。言い聞かせていました。
(だんだんとそれも意識しなくなっていった)
それほど、線量計がなければ、認識できないのです。
岩本さんが、
『事故後の風向きの影響で、いわきは、(福島市などに比べると)まだ、線量が低いんですよ』
と、言われたことが、はじめは、その意味が分からなくて、
いわき市での線量が0.6マイクロシーベルト/h とか0.8とか、その数値に驚きました。
たくさんの子供たちが、イオンの中で遊んでいるのを見て、私達が
『子供たちが多いですね!』と聞いたら、
『イオン(ショッピングモール)の中は、除染がしてあって、0.2μシーベルト/hくらいになったので、
イオンの中だったら遊んでもいい。と言うことになっているんですよ 』と教えてくれました。
なんだか、いわき市は、まだ、線量が低いとか…その数値の意味が・・・
はじめは、分かりませんでした。
次の日は、福島市に移動して、飯館村に行くことになりました。
飯館村は、原発から40キロ離れた地域ですが、(30キロ圏内は立ち入り禁止)
計画的避難地域にしていされていて、無人の村でした。
(郵便局が閉鎖 このポストへ投函してもどこにも届かないんだね)
無人といえども、道は普通に通れて、飯館村の皆様は、隣の川俣町へ避難しているということで、
定期的にお帰りになられるということでした。
(警察車両が何台も通る…不気味な雰囲気)
そこに、たまたま、整備工場を営まれている大澤さんが帰ってこられていて、
お話をお伺いすることが出来ました。
線量で、側溝を量ったところ、49μシーベルト/h!
(私は、専門家ではないので、詳しいことは、皆様で調べていただきたいです)
私が、現場で感じたことは、この、線量計が、無ければ、
ここが、危険であるという手がかりが何もないこと。
私は、はじめ、福島に入ったとき、
街の光景や、出逢った皆様が、
見た目では、私たちとなんら変わることなく、日常を暮らしていることが、
不思議で、疑問でした。
(福島市内にて、登下校する子供たち)
だんだんと、その理由が分かってくるにつれて、
この問題の深刻さを理解することになりました。
見えない放射線に対しての、知識や、情報の差で、お互いの認識が違っているのです…
現場では、ある意味、その話題に麻痺して、危機感を感じなくなっている氣がしました。
見えない放射線、この数字しか、手がかりがないことが、
同じ場所に生活するお互いの、認識のズレを生じさせていました。
この、放射線が、私たちにとって、どのような影響を及ぼすのでしょうか。
私は、その心配をすることよりも、皆様に、その心配のない、安心して暮らせる場所に
移動していただきたい。と、…それだけの理由で、そう願いました。
飯館村で出逢ったお母さんが、村の70歳になるお婆さんのお話をしてくれました。
『 おばーがね。 私は、この村で育って、この村で結婚して、
畑仕事が生きがいだったんだって。いうんだよ。
けれどね、
こうなって、畑もだめになって、
家族がバラバラになって、
みんなが、この村から離れるなら、
私も、みんなと一緒に村を出たいっていったの。 』
テレビの報道では、『村を離れたくない!』と言う方がたくさんいる。という話が目立っていたけれど、
70歳のお婆さんの話を聞いたときに、それが本当じゃないかと、思ったんですね。
きっと、自分だったら、そう思うだろうな~と。
様々な、疑問が、現場には点在していて、
その一つ一つに、振り回される人がいる現実に、非常に悔しい思いになりました。
何にも出来ない、自分の能力を憂うのではなく!
宮崎に帰って、みんなと、
この事実を語り合うこと。が重要なんだ!!と言い聞かせて、皆様のお話を伺いました。
いわき市で、フリーペーパーを発行する ハイ!マガジンの伊藤さんは、
『もっと、外から(県外の皆様から)、騒いでほしい(問題定義してほしい)』と言われました。
(Hiーmagazine伊藤さんのご協力で、お米や御菓子を配っていただけることに…)
福島の中だけに、この話題を閉じ込めるのではなく、もっと、多くの方が、この機会を分かち合い、
議論することが必要だと思うのです。
宮崎も、鹿児島の川内原発(せんだいげんぱつ)の電力が使われているわけですね。
飯館村でお会いした大澤さんが、
『 日常というものが、こんなんに簡単に崩れるものとは思いもしなかった 』
と、言われた一言が、ジーンと胸に響きました。
(宮崎県でも、口蹄疫や新燃岳の影響で、日常が非日常に変わる脆さを感じた方は多かったのではないかと思います。)
放射線の線量を心配をすることのない地域が、これから先も、当たり前であって欲しい。と願います。
内部被爆を心配することのない食べ物が、流通することが当たり前であって欲しい。と願います。
福島市で、この問題に関わっている阿部さんは、
福島で起こっていることが、世界の基準にならないように、規制を緩和するのではなく
元々の基準に見合わせて、危険なことを危険であるということを、勇気を持って伝えて欲しい。
と、言われていた。
チェルノブイリでの経験を活かそうとする人たち、
様々な知識や、情報を、知っていて、それを活かせない人たち。
知っている人の責任って、なんなのでしょうね~。
私は、素人ながら、知らず知らずのうちに、様々な恩恵をうけている一人でした。
私は、知らなかったからこそ、その責任の重さを痛感しています。
私達が、これから先の未来を想像し、創造する今、何を選択しますか?
私たち自身が、幸せなイメージを持って日常を送れるように…。
人生に起こり来る、艱難辛苦に対して、
日常が、非日常になりえる人生に対して、
今と言う日常が、いかに幸せであるかに氣づき、
命を与えられ…、愛する人とともに実感することを許され…、
家族と喜びや悲しみを分かち合い…
今日と言う日、命を活かすことを許されている限り、
いくらでも新しい日常を創造できることを、最大限に喜びたいものです。
太陽は今日も沈み、朝になったら、また昇る。
必ず、私たちは、その恩恵の中で生かされています。
これから、多くの皆様と新しい明日のために、福島で起きていること、
今、世の中から感じていることを語りあえたらと思います。
happyisland ふくのしま
blueisland あおのしま
青は、光の中でも、一番、早くて、遠くまで届いて、ストレートな色なんで~福島まで届きますね~!
福島と宮崎に虹の架け橋かけたり!
(ホールボディカウンターを市民団体で管理するところにて 福島市)
(Hiマガジン 伊藤さんと)
(やきとりNo1の社長と、肉巻き本舗の岩本さんと)
ご協力頂きました、多くの皆様に心より感謝致します。本当に有難うございました。