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Posted by みやchan運営事務局 at

2012年03月08日

人生の機会

仁は人の心なり。

義は人の路なり。

其の路を舎てて由らず、

其の心を放ちて求むるを知らず。

哀しいかな。 

人、鶏犬(けいけん)の放たるることあらば、

すなわちこれを求むるを知る。

放心ありて求むるを知らず

『孟子』





【 人の氣持ちを感じれること 】は、人の心そのものなり

義とは、【 人が歩むべき道なり 】



どうして、人は、時として、上手く行かないことや、

失敗や、挫折や、苦悩や、苦しみを味わう事になるのだろう。

悲しい出来事や、苦しい出来事は、私たちに、何を与えてくれるのか?


与えてほしいと、思ってもいないものを、与えてくれる事を、恩恵という。


雨は、降ってほしいとか、降ってほしくない、とか、

私たちが、与えてほしいと思う、思わないという感情に関わらず、降り注ぐ。

求めていないのにも関わらず、与えられるもの、それを、恩恵という。


私たちの本性は、氣である。

天より、氣は、肉体という地に存在する人(ひと)を通して、自分という己を認識し、

自分のことを、自分だと、認識できる事ができるようにと、

求めてもいないのにも関わらず、その機会を、お与えになった。

私たちは、この物質的な世界において、

必要である事を学ぶために、その機会を活かし、それに取り組み、

造物主である天は、私たちに、その目的に必要な能力を与え、

与えられたそれぞれの使命を全うすべく、私たちは、いつも、その機会に取り組んでいる。


どのような、人であろうとも、人として生きる人は皆、何らかの使命を持ち、

この世界が、理想の世界へと変化し、進化し、自然と共存し、順応し、より佳く作り替えるために、

人間という姿、形を司って、日々の日常に取り組んでいるのだと思う。


用意ので来た人に、いつの瞬間であっても、理想の世界への扉はいつも開かれている。

そのきっかけは、いつも、深々と降り注ぐ雨や雪のように、

求めていないのにも関わらず、与えられている。


私は、人間であるからこそ、もがき苦しみ、悲しみに打ちひしがれ、寂しい想いもする。

しかし、我々の本性は、人間という体にあらず、身といい、氣といい、御霊といい、

カタチなきもの、そのものが、本性である。

カタチあるからこそ、ものは壊れ、カタチあるものは、想像することから創造され、

人は、人である以上、悲しみや、苦しみと、共に、それを受け入れたり、それを味わったり、

そうした、一見すると、避けたくなるような、機会とともに、活かされているという事に、氣づかされる。


しかし、そうした機会でさえも、私が、人間である事の、意味を氣づかせてくれる、大切な恩恵であるという事を知れば、

私が、もし、この世界から、脱し、形にとどまる事ができなくなったとしても、

カタチある機会に、味わい得る、大きな恩恵を与えられた事に、私は、多大なる感謝をするだろうと思う。


だからこそ、私は、どんなに、苦しくても、どんなに悲しくても、それが、

私に与えられる、素晴らしい機会である事を感謝の祈りに変え、

人生という たった、一度きりの尊き、この機会を与えられた以上、

人間、想い存分に楽しみたいと思う次第であります。




意味
仁(思いやり)は人が誰もが持っている心である。
義は人の生きる道である。
ところが人は、その道(義)を捨てて従わず、
その良心(仁)を見失っても探し求めない。
嘆かわしいことだなぁ~。
人は、飼っている鶏や犬が逃げたなら
すぐにでも捕まえようと探すのに、
自分の良心を失っても、それを探そうとしない。

孟子








3月9日 より、 モノラルランチ スタート!

詳しくは、ホームページにて^^  

Posted by ケースケ at 04:02Comments(0)人生勉強