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2011年08月19日

認識できないものを感じる心



私たちは、見えないものを怖がってしまう事があります。

認識できないから、それを信じる事ができないのでしょう。

見えなくても、確かに存在しているものがこの世界にはたくさんあります。

五感で感じるものが、すべてだと認識している人にとって、

この世界に不安や恐怖が消え去る事はないでしょう。



地球という、この星の中にいると、

当たり前のように想うことが、

宇宙空間では、決して成り立つ事のできない、奇跡に満ちあふれた偶然が成り立っている事を知ります。

それは、まるで

魚が、水の中にいるときは、水の存在を知らないように、

陸に上がったとたん、

「水の中でしか生きられないという大変重要な事実を知る」

ということに似ています。



人は、当たり前のように考えていることを

それほど深くは考えないようです。

認識できないものも、あまり考えないのでしょう。




しかし、その当たり前に成り立つ天地自然の法則や、森羅万象、目に見えぬ存在である偉大な力が、

私たちを生かしておられるのではないかと、私は秘かに考えているのです。



その存在に、名前はありません。

名を持たず、

誰に自慢するでもなく、

その存在は、私たちの認識の度合いに関係なく、私たちを生かしているのですね。


本当に凄いものというのは、目立たず、誰にも氣づかれず、

話題にもならず、ただ、黙々とその役割を全うしているものなのですね。



私たちは、「体」をもってして、自分という認識に至りますが

この体なしには、自分というものを認識する事はできません。

反対に、体だけ存在しても、それを自分という認識ができない場合、

体は生きていても、自分とは言いがたいのですね。

たとえるなら、植物状態の人間は、体は生かされていても、自分を自分と認識できないのですね。


ということは、体そのものが、自分ではなく、

自分というのは、この体を身体として意識しうる 意識体 ( 氣 )なのですね。

どの、家電製品も、電氣が繋がらなければ、動かないのと同じですね。

電気は、目に見えないものですが、確かに存在するものですね。



私たちの、本質は、

心を統制して、身体を動かす『意識体』なんですね。

『氣』(霊魂)そのものですね。

日本語って、すごいな〜って、思うのですが、

『身体』(からだ)という語源をご存知ですか?


御霊(みたま)とも呼ばれる魂の事を=『身(み)』といい、

身の入っていない、殻だ(からだ・ガラ)のことを 【 体 からだ 】というわけですね。



体(殻)に身(御霊)が入った状態を『  身 体 (からだ) 』と言う。


このような語源がございます。



私たちの身体(からだ)というものは

天から生じた魂と地から生じた肉体とで人間と言うカタチをしているわけです。



それにしても、現代は、健康ブームで、体に良いとされるものが、もてはやされておりますが、

認識しやすい 体 だけでなく、

認識できないけれども、私たちの本質である、氣(御霊)を高めるような取り組みが必要ではないかと考えるのであります。




身も、体も、心も、与えられた機会をまっとうすべく、

いつも磨きあげたいですね。


長文のご拝読 ありがとうございました。


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