2012年04月14日
降り注ぐ幸福のたね。
【 なんのために 】
という、意味を知ってこそ、私は、その出来事を与えられたという本質的な部分を感じる事ができると思うのです。
与えられた、意味を知ってこそ、その意味にかなう行動や言動ができると思うのです。
尊い機会を与えられたという意味を、何も考えず、それを受け流すよりかは、
【なんのために】私は、このような機会を与えられたのか?という本当の意味を知り、生きていく方が
たった、一度の人生を、後悔する事なく十分に活かす事ができると思うのです。
【与えられた機会の意味を何も考えずに、毎日を生きている人の事を凡人という】
という言葉があります。
与えられる機会は、さんさんと降り注ぐ太陽の光や、しんしんと降り注ぐ雨のように、
私たちが求めていないのにも関わらず与えられるものであります。
私たちは、毎日毎日、
求めていないのにも関わらず、多大な恩恵を与えられていると思うのです。
【 恩恵とは、求めていないのにも関わらず、あたえられるもの 】
大自然が私たちを活かしてくれます。
求めてい何のに、与えられるものを、恩恵と言わずして、なんと申しましょう。
恩恵というものは、決して、求めて与えられるものではありません。
だからこそ、求めていないにも関わらず与えられる機会のすべてが、私たちにとって、恩恵であると思うのです。
【なんのために】を、真剣に考え始めますと、たとえ、不運や、不健康でさえも、
求めていないのにも関わらず、与えられる恩恵であると思うのであります。
そうした出来事を与えられるからこそ、人は、その命を与えられた意味を悟り、
人生の誤りを見直す機会になると思うのです。
そうした、艱難辛苦を味わう事なく、命が取り上げられてもおかしくないはずなのに、
私たちを活かす、大自然の営みは、営々と、どんな人であっても、
求めざる多大なる恩恵を、お与えになるのであります。
改めて、考えますと、本当に、有難い限りです。
私は、今日という尊い一日の中で、求めていないのにもかかわらず与えられるものが数多くあります。
そのすべてが、恩恵であり、私は、多大なる恩恵の中で活かされているのだと思います。
【なんのために】その恩恵が、私に与えられるのでしょう。
与えられる全ての恩恵を、幸福という花がさく種だとします。
私は、その種が、目の前で、さんさんと降り注ぐのを見て、その種のすべてが芽を出すような、畑を準備したいと感じるのです。
幸福というものは、どこか遠くにあるものでも、いつかやってくるものでもなく。
太陽の光や、降り注ぐ雨のように、私たちに、いつの日も、いつのときでも、
目の前に降り注いでいます。
決して、求めていないのにも関わらず与えられる全ての機会を、十分活かし、
私に、与えられている機会のすべてを活かしていきたいと思うのであります。
【なんのために】私が今、ここに存在し、なんのために、このような機会が与えられるのか?という意味を、
多大なる恩恵のなかで感じるのであります。
降り注ぐ幸福の種を、しっかり育てようと思います。
Posted by ケースケ at 02:15│Comments(0)
│あかるいひとりごと